「アーバン・リゾート・フェア神戸 '93*KOBE URBAN RESORT JAZZ HERITAGE 」
神戸にこんなイベントがあった事を覚えてますか?
1993年9月17日〜26日の10日間。「日本初、本場ニューオリンズのジャズメンたちが集う、多彩なJAZZの祭典」という謳い文句でメリケンパークを中心に西は新開地、北は有馬温泉まで、神戸の街がニューオリンズ・サウンドであふれました。音楽プロデューサー山岸潤史さん(ニューオリンズ在住、Wild Magnoliasのギタリスト)の功績も大きいが、とりあえずよくやった神戸市長 ! と誉めてあげたい。 (当時は笹山さん)
パンフレットをひさしぶりに見てみると、あらためて歴史的なイベントだった事がよくわかる。
出演メンバーは、The Five Blind Boys Of Alabama, The Wild Magnolias, Marva Wright, Henly Butler, Zachary Richard, Dr.Michael White & The New Liberty Jazz Band, Johnny Adams, Charlie Musselwhite, L'il Queenie, John Mooney, Storyville Stompers, Dixieland Allstars, The Batiste Bあrothers, New Orleans Special Band, Band of Pleasure (featuring James Gadon & David T. Walker),
ヒューマン・ソウル, 六本木スワンプ・バンド, 有吉須美人, 永井"ホトケ"隆, サウスサイド・ジャズバンド, ディキシー・キッズ, ヴォイス・オブ・チヴェラ・ウォーターetc...日米入り乱れてスタッフも合わせたら総勢何人になるんだろう?とか思いながら、イベントは始まった。
場所がメリケンパークだったのと出演者の"ヒューマン・ソウル"のメンバーが旧知の間柄だったのとで、会場から一番近いうちの店が自然に打ち上げ会場になり、毎晩9時頃からぞくぞく黒人のミュージシャンが訪れ始めて10時には満席、店内真っ黒黒黒になる。それが10日間も続くのですよ...まるでニューオリンズのバーで働かされているみたいな気分でした。困ったのはキャッシュ・オン・デリバリーなのに、どさくさまぎれでお金を払わんヤツがたまにおったりして、そういう時は高架下のオバハンから学んだ「ユー・ノー・ペイ!ノー・セル!」(おんどれ、なめとったらあかんどぉ〜モード)でばっちりOK。そしていつも宴会部長のハーマン (Dr.Johnバンドのドラマー"Harman Ernest Ⅲ" 2011年3月死去)の仕切りでパーティーがスタートし、夜更けまで大音量ディスコ大会があったり、大リクエスト大会になったりで、とにかく忙しいやら嬉しいやらの10日間でした。スタッフの話だと、毎日演奏が終わると「Let's Go! ムーンライト 」と言うのが合い言葉だったそうです。
そんな中、ある黒人のミュージシャンが "ブラッディー・マリー" を注文した時の事、当時はカゴメのトマトジュースを使っていたのですが、出来上がりの水っぽさがどうも気に入らなかったようで、ブラックペッパー出せ...ウスターソースを入れろ...タバスコをたらせ...塩がちょっと足らんぞ...と英語でまくしたてられて困ってしまいました。まあ、カゴメに怒っても仕方ないのですが、どうも日本のトマトジュースが黒人というかアメリカ人と相性が悪いんやなということに気がついたわけです。
たまたま次の日、元町の明治屋 (2013年1月閉店) に買い物へ行った時、タバスコ社のトマトジュースを見つけて買って飲んでみたところ、日本のトマトジュースとまったく違う味でびっくり...スパイスたっぷりのトマトソースみたいな濃厚な味でした。まさにコレですね。今夜もやってくるだろうメンバーたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようで思わず明治屋さんで大量に買い込みました。
というわけで、バー・ムーンライト の辛口ブラッディ・マリーは、その夜に誕生し定番メニューになりました。
(現在は、Mr & Mrs T社のブラッディー・マリー・ミックスを使用してます)
10日間も毎日顔を合わしてたら、なんかすっかり親しくなったニューオリンズの面々。
帰り際には、「ニューオリンズで店をやれ、俺は毎日通うぞ」とか
「遊びにきたらここに連絡しろ」とかいいながら
置いていった連絡先メモやら名刺が懐かしいです。
いつか絶対ニューオリンズに行こう。
震災以降、心動かされるようなイベントもない神戸の街、
次の市長に期待してます。
神戸市長選挙は10月27日(日)
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