● 伝説のフリーペーパー「Authentico」編集長 渡邉正の世界 Vol.1 * Skull and Bonesの話

“R.I.P.山崎眞行”

例年に無い記録的なスピードで北上した今年の桜前線。

大阪を飛び越して咲き乱れた原宿の桜に紛れ、ひっそりと山崎眞行氏が逝去された。

享年67歳。

 

フィフティーズムーブメントの立役者であり原宿ストリートカルチャーの開祖、

そしてビビアンの永遠の恋人。

手掛けたお店は怪人二十面相、キングコング、シンガポールナイト、クリームソーダ、

ガレッヂパラダイス東京、ピンクドラゴンなどなど数知れず。

 

自分の理想はすべて「お店」という表現方法で叶えられるとして、

前例のないエポックメイキングな店舗を次々とスクラップ&ビルドしてきた。

山崎眞行氏がどんな人物か説明しようと思うとこんな感じになるのか 。

 

“原宿ゴールドラッシュ”

1977年にやってきた時代の大波、原宿ロックンロールムーブメント。

その予兆は数年前からあった。

キャロルやクールスにチェリーボーイズ・・・。

50〜60年代をイメージしたロックンロールバンドの台頭。

76年には歌謡曲サイドからは、あおい輝彦の「あなただけを」がビッグヒット。

この「あなただけを」という曲、

ミドルテンポでメローなリゾート感溢れるツイストナンバーで、甘く切ないなかなかの名曲だ。

そして、この曲のリゾート感や甘く切ないロックンロールのリズムこそが山崎眞行氏が手掛けた数々の「お店」の世界観だった。

この「あなだけを」という楽曲、作詞を担当したGAROの大野真澄氏は70年代初めから山崎眞行氏のお店「シンガポールナイト」に出入りしていた人物だ。

原宿の隅っこで起きた小さなカルチャーの波は日増しに大きくなり、

やがて途轍もない時代の大波となっていった。

そんな予兆を巧みにすくい取り、世に問うたと考えるのはあながち間違いではないだろう。

 

粗野でシンプルなロックンロールを信条としたCAROLとは少し違う、

甘くPOPなティーンネイジドリームやアメリカンゴールデンドリームを標榜する

山崎眞行氏の描くフィフティーズという名の時代の大波。

 

それは原宿の洋服と雑貨を扱う店「クリームソーダ」から始まった。

新宿の片隅にあった雑居ビルの五階の小さな店の壁を黒いペンキで塗り潰し、

即席のロックンロールバー「怪人二十面相」を手掛けたのち、

拠点を原宿に移しベトナム戦争で消費された大量の革ジャンパーの古着を扱う店を作った。

あまりにシンプルで慎ましい「クリーソーダ」のスタートだった。

 

店の内装は相変わらず安っぽいが、ギラギラとした原色のペンキで描かれた

金髪のポニーテールやリーゼントが色を添えだした。

陳列される商品も着古された黒い革ジャンパーから

鮮やかな色目のボーリングシャツやアニマルプリントのイタリアンカラーのシャツへ。

スエた匂いのするヤナギヤポマードで固めたリーゼントヘアは、

ペパーミントやココナッツの甘い香りのするグリースに変わり、

リーゼントの造形も複雑な流線型をした巻貝のようなフォルムに変化した。

ブルージーンと皮ジャンパーという福生・横田・横須賀・佐世保等の進駐軍経由のやさぐれたカジュアルスタイルに取って代わり、もっと大胆に、そして洗練されたものとなっていった。

衣食住から音楽に至るすべてを、

山崎眞行氏のフィルターを通して「クリームソーダ」で提示した見せた。

 

「あなただけを」で再びのスターダムの座を手に入れつつあったあおい輝彦は

連日のテレビ出演に、原宿ホコ天で踊っている「クリームソーダ」の洋服で着飾った若者達を登場させた。

あおい輝彦がその甘い声で歌い出すと、

思い思いのフィフティーズルックのリーゼントやポニーテールがツイストやジルバを踊った。

「あなただけを」であおい輝彦は1976年オリコンヒットチャートを6週連続1位を獲得。

翌1977年には、やはり甘いツイストナンバー「Hi-Hi-Hi」がオリコン7位となる。

フィフティーズムーブメントという時代の大波は往年のスターをも後押しした。

 

その頃、ジルバを踊ろうジャック&ベティのキャッチコピーでSONYのラジカセ「ジルバップ」が登場。

プレイボーイ、ポパイ、ゴローなどの雑誌がこぞって「クリームソーダ」を中心に渦巻くムーブメントを紹介し始めた。

 

原宿で起きているシーンを雑誌やテレビを見て指をくわえるしかなかった大阪でも

ナビオ前歩行者天国でストリートダンスが始まり、

デカいラジカセを持ち出して屋外でツイストを踊るという行為がいよいよ全国に飛び火した。

1977年を沸点とする、このフィフティーズムーブメントという時代の大波は

その後も衰える事なくうねり続けていく。

 

 

 

 

70年代末、雑誌POPEYEに掲載されたクリームソーダ記事

今と違いなにより雑誌がパワーを持っていた

 

 

 

 

「MID-CENTURY MODERN」という洋書で紹介された山崎氏の部屋

“粉紅之龍”

そして「ピンクドラゴン」が完成。 

自分の理想はすべて「お店」という表現方法で叶えられるとして、前例のないエポックメイキングな店舗を次々とスクラップ&ビルドしてきた山崎眞行氏。

その集大成とも言えるビルが「ピンクドラゴン」。

イメージはマイアミやキューバ、或いはシンガポール当たりにありそうなアールデコ様式の建物。

いわゆるトロピカルデコと言うスタイルだ。

屋上にはプール、地下にロカビリーバンドが演奏出来るスタジオのある店舗。

見たこともないアールデコ様式の家具で設えたカフェもあり最上階は山崎眞行氏の住居となっている。

洋服だけではなく、雑貨や家具も売られていて、ピンクドラゴンには不良高校生から業界人までありとあらゆる人種のお客が押し寄せた。

日本で前例のないそのトロピカルデコの建物はファッション雑誌やCMのロケ地としても使われ山崎眞行氏の仕掛けたカルチャーはフィフティーズの枠を超えて時代の最先端に躍り出た。

 

1977年、原宿からはフィフティーズの波が、キングスロードからはロンドンパンクスの波が起きた。

今になって、そのふたつのムーブメントは根っこで繋がっていたことがわかる。

ロンドンパンクの仕掛け人であるマルコムマクラーレンとヴィヴィアンウエストウッドは山崎眞行氏と旧知の仲で、ロンドンに於いては当時英国病とも言われた慢性的不況を時代背景に若者に「NO FUTURE」と叫ばせたのであり、逆に高度経済成長の気分が続く日本では50年代のゴールデンドリームを提示して見せた。

それこそがリアルなカルチャーだと僕は思う。

 

それでも山崎眞行氏が原宿クリームソーダに掲げたドクロ旗には「Too Fast To Live Too Young To Die」と記されている。

この文章の意味については色々な解釈が出来ると思うが、実はヴィヴィアンウエストウッドが当時やっていたパンクファッションのブティックの名前だ。

そこに並ぶ服はレザーボンテージと並び

ズートスーツやビリビリに切り裂かれたボーリングシャツや穴だらけのモヘアセーターなどのフィフティーズファッションのリメイクだった。

クリームソーダの洋服はそれを切り裂さいたりせず蛍光色に色を変え生地や縫製のクオリティをわざと落としてことさら安っぽくリメイクした。

糸から作り上げたオリジナル生地を起こすという贅沢なモノ作りをしているにも関わらず、あえて安っぽくすることで出てくるニュアンスを選んでいる。

パンクロックの稚拙な演奏とラフでチープな録音をそのまま服飾に当てはめ、高度経済成長の日本に潜むフラストレーションを洋服にそっと忍ばせた。

 

今なら時代考証はもちろんのこと、クオリティも素晴らしいリアルなフィフティーズファッションが容易に手に入る。

山崎眞行氏が凄いのはそこでは無くて、あくまで山崎フィルターを通したカルチャーを作り上げたことだと思う。

「ハートはテディ」という山崎眞行氏の著書の中に、50年代は過ぎ去った過去でなくこれからやってくる未来だと述べられている。

 

1977年の夏、フィフティーズとパンクスはせめぎ合い共振しながら日本中を振るい動かした。

そして、そこを発火点として、姿形を変えながら現在まで様々なストリートカルチャーが生まれてきた。

クリームソーダに掲げられたスカル&クロスボーン旗と

Too Fast To Live Too Young To Dieを

クリームソーダファンは「やるだけやってしまえ」と読むのです

 

“Too Fast To Live Too Young To Die”

例年に無い記録的なスピードで北上した今年の桜前線。

大阪を飛び越して咲き乱れた原宿の桜に紛れ、ひっそりと山崎眞行氏が逝去された。

享年67歳。

 

フィフティーズムーブメントの立役者であり原宿ストリートカルチャーの開祖、

そしてビビアンの永遠の恋人。

手掛けたお店は怪人二十面相、キングコング、シンガポールナイト、クリームソーダ、ガレッヂパラダイス東京、ピンクドラゴンなどなど数知れず。

 

 

身内だけで告別式を行ったあと、クリームソーダサイドは山崎眞行氏の逝去について一切口を閉ざしている。

マスコミ関係の取材や問合せも全て断ったとのこと。

ショップのブログにもそのことは何も書かれなかった。

そして今も、何事もなかったかのように安っぽく作られたTシャツやボーリングシャツを売っている。

 

今後のクリームソーダ/ピンクドラゴンがどうなって行くのかは知る由もないが、このことはいかにもクリームソーダ的で山崎眞行氏らしいと思う。

 

恐々謹言

 

 

 

 

 

 

 

AUTHENTICO代表

渡邉正